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鉄拳白書

3D格闘ゲーム『鉄拳』に関して想うことをダラダラと書き綴るblog

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対戦ゲームの本質とは何なのだろう

ちょっと、どうでもいい話を。


格闘ゲームの面白さの本質を考えたとき、それが”他人との対戦”であることは間違いないと思う。
もちろん中にはただ単にキャラを動かしているだけで楽しいという人や、CPU戦のタイムアタックに心血を注いでいるという人もいるかもしれないが、多くの格ゲープレイヤーは少しでも多くの人との対戦を楽しむために、あるいは少しでも他人より強くなるためにプレイしていることだろう。

もちろんこういった楽しみ方は格闘ゲームに限ったことではなく、カードゲームや麻雀ゲーム、クイズゲームといった現在ゲーセンで稼働しているゲームの多くが他人との対戦(もしくは協力)を主眼に置いている。シューティングや音ゲーといったジャンルでも、他人とスコアを競っている場合は広い意味での対戦ゲームと言えるかもしれない。

・対戦ゲームの要素
一度でも対戦ゲームをプレイした方はわかると思うが、たとえ同じゲームであってもひとりでコンピュータを相手にプレイしているのと他人(意志を持ったひとりの人間)を相手にするプレイでは面白さが格段に違う。
1人でプレイ(CPU戦)しているときはたとえ負けても(ゲーム自体の面白さは別にして)「自分が下手だった」という感想しか持ち得ないが、他人との対戦プレイに負けたときの「誰それに負けた」という悔しさ、あるいは逆に勝ったときの快感・優越感はCPU戦のそれとは比べ物にならない。多くのプレイヤーにとってこれこそが金を払ってでも対戦ゲームを続けるモチベーションとなっているのだろう。

また勝負の結果だけでなく、対戦の内容自体もCPU戦と対人戦では今のところ大きな開きがある。
他ジャンルのゲームは専門外なのでわからないが、少なくとも格闘ゲームでは全く違う。
鉄拳に関して言えば最近のCPU(鉄拳5以降)は空中コンボこそまともに入れるようになったが、対人戦にあるような立ち回りや起き攻めにおける駆け引きの面白さは、CPU戦にはほぼないと言ってよい。(たとえば下段を意識させて中段を当てるといった基本的な駆け引きですらもCPU戦ではほとんど無意味)

以上のように格闘ゲーム、ひいては対戦ゲームの面白さは”他人とプレイしているという認識””人間同士らしいプレイ内容”の2つに集約されていると言っても過言ではないだろう。
言い換えるならばこの2つがなければ対戦ゲームは成り立たないし、逆にこの2つさえあれば対戦ゲームは成り立ってしまうということも言える。

ただこの2つのうち”人間同士らしいプレイ内容”というのは、ある程度CPU戦でも再現できるように思う。
私はゲームプログラマーではないので憶測になってしまうが、一般プレイヤーが普通にやっているように使う技を厳選し、状況によって選択させ、いくつかの定石を覚えこませれば、人間に近い動きを実現させるのもそれほど難しくないのではなかろうか。昨今のプレイヤーに多く見られる、余計な動きをせず最短距離で勝利を目指す対戦スタイルならなおさらだ。
少なくとも数十手先まで読み込む将棋や囲碁のアルゴリズムよりは簡単だろう。

むしろ鉄拳が世に出てから15年も経っているのに、未だにCPUが単純な動きしかできないというのは逆に不自然で、開発側が対人戦との差別化を図るためにあえて”CPUらしさ”を残しているようにも思える。(もちろんそれは別に悪いことではない)

・ネット上での対戦相手
さて少し話は変わるが、みなさんは「自分以外の人間はすべて作り物ではないか?」という疑問を持ったことはないだろうか。固有の意識を持っているのは自分だけで他の人間はそれらしく振舞うように作られた機械ではないか。あるいは映画『トータル・リコール』のように今見ている世界はすべて人為的に見せられた夢のようなものではないか。はたまた佐藤マコトの漫画『サトラレ』のように周りの人間はすべて役割を演じているだけなのではないか・・・。
この種の疑問は追及すると「ゾンビ問題」という哲学的な問題に行きついて非常に面白いが、ここでは深く考えないでおく。
哲学的ゾンビ(Wikipedia)
ゾンビ問題(哲学的な何か、あと科学とか)

ここで対戦ゲームに話を戻すと、同じように「筐体の向こうにいる対戦相手は本当に人間なのか?」という疑問がわいてくる。
いやもちろん人間なのだろう。私がリコール社で夢を買ったとかでない限りは。
少なくとも私は相手が人間であると認識して対戦を楽しんでいるし、筐体の反対側に行けば人間であると信ずるに足る存在を確認することができる。

ところが最近では格闘ゲームでもネット対戦が普及するようになってきた。家庭用の鉄拳5DRやバーチャ5ではネット対応するようになったし、最近発売された家庭用ストIVでは往年のファンも巻き込んで盛んにネット対戦が行われている。
この種のネット対戦は当然ながら顔を合わせることがないため、相手の存在を直接確認することは不可能に近い。(少なくとも現実的ではない)
つまりネット対戦においては相手が人間であると”信じて”対戦しているに過ぎないのである。

もちろん実際の対戦においてはプレイヤーネームやID等が表示されるため、ある程度個人の特定は可能であるし、チャット等を使えば人間同士らしいコミュニケーションもとれるだろう。
だが原理的にはネット上に人間が直接操作しないAIプレイヤーをいくらでも作ることができるはずである。ちょうどMMORPGにおけるNPCやBOTのように。

こうしてプレイヤーに気付かれないようにAIプレイヤーを紛れ込ませれば、対戦ゲームのもう一つの面白さである”他人とプレイしているという認識”ですらも、ネット上ではコンピュータが作り出すことができる。
つまり「人間と同じような対戦アルゴリズム」と「見た目では判別できないAIプレイヤー」さえあれば、たとえそのゲームのプレイヤーが世界中に1人しかいなくても、本人にとっては十分に満足する対戦ができてしまう。

乱暴な例えを挙げれば、今ゲーセンにある格闘ゲームも「ネット対戦対応」と銘打てば、たとえ実際は基板上のAIプレイヤーだったとしても客(私を含め)は喜んでプレイするだろう。(もちろんバレれば信用は一気に失墜するが)
また場合によっては雑な動きをする人間プレイヤーよりも、洗練された動きをするAIプレイヤーとの対戦のほうが面白いと感じる人も出てくるかもしれない。そうなると最早人間よりもAIのほうが上位の存在となり、CPU戦がメインで対人戦はオマケということになってしまう。

・対戦ゲームの本質
もちろんメーカーにとってもわざわざプレイヤーを騙してまでAIキャラを作りこむなんてありえないし、本当のネット対戦環境を整えるほうがはるかに現実的である。
プレイヤーにしたって、AIよりも雑で人間らしいミスもする相手のほうを面白いと感じる人が多いと信じたい。

ただ我々が崇高だと思っている対戦ゲームの面白さが極めて主観的なものであり、対戦相手など作ろうと思えば意外と簡単に作り出せてしまうことに思い至ると、一抹の寂しさを感じると共に、「対戦ゲームとは何なのだろうか?」という根源的な命題にも向き合わざるを得ない。


将来の格闘ゲームもちゃんと”人間”を相手にしていることを切に願う。




・・・いやまぁ「だから何?」とか言われても困るんですけどね(笑
たまにはこんな感じでも書いてみたくなったということで。

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